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<祝辞>

財団法人河鍋暁斎記念美術館 館長 河鍋楠美



河鍋暁斎の研究サイト創設にあたり、お祝いを申し上げます。

このたび、「河鍋暁斎研究コミュニティ」をお作りいただき、誠にありがとうございます。

私は、河鍋暁斎のひ孫にあたり、河鍋家に数多く遺されていた下絵・画稿類を広く皆様にご覧いただいて暁斎を顕彰するために、昭和52年に埼玉県蕨市に河鍋暁斎記念美術館(当初は暁斎記念館、昭和61年に財団法人の認可を受けた際に河鍋暁斎記念美術館と改称。)を創設いたしました。

河鍋暁斎(18311889)は、幕末から明治前半にかけて活躍した狩野派絵師でしたが、幼少の短期間、浮世絵師・歌川国芳に学んだこともあり、狩野派作品だけでなく日本伝統の様々な流派を研究し、狩野派、大和絵から浮世絵作品も描き、さらに明治維新後は、創刊されたばかりの新聞・雑誌の挿絵を描くなど、多岐にわたる作品を

遺し、たいへん人気を博した絵師でした。特に、幕末・明治初期に「狂斎」の雅号を用いて描いていた頃の風刺画で、江戸・東京の庶民から喝采を受けたのです。そうした風刺画のひとつが政府高官を揶揄したものとして、明治3年、官吏に捕らえられ、明治4年に放免されてから、雅号を「暁斎(きょうさい)」に改めます。その後

も、暁斎は風刺的な錦絵を描き続け、また明治14年に開催された第二回内国勧業博覧会では、「枯木寒鴉図」を出品して日本画の最高賞妙技二等賞を受賞しました。以後亡くなるまで注文が殺到し、亡くなる時には300もの注文をかかえていたと云います。このように人気のあった暁斎ですが、特に戦後、その名が美術史上でも語られなくなった時期があります。このため暁斎を再認識していただきたく、自宅を改造して美術館を創設し、河鍋家に残る下絵・画稿類を中心に、その後私の蒐集した掛軸や錦絵も含めてご覧いただいております。暁斎も暁翠も東京で生き、亡くなりましたが、河鍋暁斎記念美術館が蕨市に創設されたのは、母と私が昭和19年に強制疎開で蕨に移

転していたからです。

さらに私は、美術館創設当初から、暁斎やその周辺の研究の中心としたく、研究会を創設し、研究雑誌「暁斎」も発行して暁斎研究に努めてまいりました。

このたび、暁斎についてご研究なさってきた山口順子氏が創設なさったこのサイトで、これまで私が進めて参りました暁斎研究の成果や現在進めております研究についてもご紹介いただけるとのこと。私にとっても、またこれから暁斎研究をしたいとお考えの皆様にもたいへんありがたいサイトであると存じます。

今後も河鍋暁斎記念美術館での研究成果等をこのサイトで公開いただく予定です。

このサイトが多くの皆様にご覧いただけることを願っております。


財団法人 河鍋暁斎記念美術館

公式サイト http://www2.ocn.ne.jp/~kkkb/index.html


財団法人 河鍋暁斎記念美術館

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